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自分に障害があるんじゃないかとはじめて思った日のこと

体験談

きっかけは1枚の紙だった。

「もう無理です。これ以上続けるなら死んだほうがマシです」

そう言って仕事を辞めた私のもとに届いたのは、メンクリの案内だった。

確かに普通に人と違うことは多くあった。特に社会人に出てからは、転職を繰り返していた。10社以上で働いて、2年以上続けられたのは2社だけ。1ヶ月半で辞めた会社もあった。

20代で最後に入った会社では、パワハラを受けて辞めた。引きこもりになり、貯金が尽きたら死のうと思っていた。

今思えば、メンタルは限界。だけどそのときは、限界ということに気づいていなかった。

メンクリの案内が届いたのは、引きこもりから1年かけて社会復帰して働いた3社目でのことだった。

パワハラを受けて引きこもりになったことをきっかけに正社員で
働くことは諦め、派遣社員として働いていた。

行った派遣先の業務内容は聞いていたものと大きく異なり、初日から無理と感じていた。それでも3ヶ月の契約期限があったので頑張ろうとしたが、3週間で限界を迎えた。

初日から無理だと感じていたことは、派遣元の担当者にも話していた。だけど言われたのは、「3ヶ月は頑張ってください」という言葉だけ。

無理と感じている現状に対しては、なんの改善もなかった。

そして本格的に限界になった3周目。

「もう無理です。これ以上続けるなら死んだほうがマシです」という言葉は、自然と出ていた。

ここまで言わないと辞めることはできない。そう感じて出た言葉だった。

その時は派遣元の担当者で電話で話していたが、慌てたように上司と電話をかわった。それから1時間ほど電話をして、翌日からはもう行かないことを伝えた。

正直私自身は「死んだほうがマシ」という言葉に対して、それほど重く考えていなかった。だからといって、冗談のつもりでもない。

無理して頑張るぐらいなら死ねばいいというのは、当時の私の本音でもあったからだ。

私は重く考えていなかったが、派遣元の会社は違ったようだ。辞めることが決まってしばらくして送られてきたのが、メンクリの案内。自分自身がメンクリに通うなんて想像したこともなく、そこではじめて普通の人と違うのだと実感した。

しかし、私はメンクリには行かなかった。それどころか、「何だこの紙」と半ば怒りながら、案内の紙をゴミ箱に投げ入れた。

それでも、メンクリの紙が送られてきたことは人生の転機となった。

「自分に障害があるかもしれない」

そう思い始めた私は、悩むどころかむしろ納得できた。そして考えた。

「本当に自分に障害があるのか確かめたい」

そして同時に思った。

「仮に自分に障害があったとして、今更生きてきた道は変えられない。それなら、今悩んでいる人がいたら力になりたい」

それから私は、障害者と関わる仕事を探した。過去のつらい経験を活かして、力になれればと考えたからだ。

それから1ヶ月後、放課後等デイサービスに出会った。その出会いも本当に偶然で、今思えば運命ですらあった。

バイトルで検索して見つけたのだが、放課後等デイサービスの求人はほとんどない。この記事を書きながら改めて検索したが、バイトルにはほとんどない。それが通える距離にあったのだから本当に奇跡だ。

しかも当時の検索条件は、『週3日から可』と最寄り5駅。障害者というワードも放課後等デイサービスというワードも入れていない。

放課後等デイサービスというものを知ったのは、働き始めてから。通いやすい駅で検索してたまたまでてきて、体験ができたので応募したというだけ。だけとは言ったが、実際には応募するかとても悩んだ。友人の「体験できるなら行ってみたら」の一言がなければ、応募できなかったかった。

それから2年以上が経ち、今も放課後等デイサービスで働いている。これまでに失敗してきたことつらいこと感じてきたことが、この仕事では活かせている。

自分に障害があるんじゃないかと思ったことがきっかけで、転職を繰り返してきた私は続けたいと思える業界に出会うことができた。

さて、自分に障害があるんじゃないかと思ったことに対してだが、私の中で答えは出ている。

だけどその答えは、私にとってそれほど重要なものではなくなっている。

重要なのは、自分にできることをどう活かすか。誰にだって、できることとできないことがあるのだから。

今の自分にできることをやって、悩んでいる誰かが一歩でも踏み出せるきっかけになれたら嬉しい。それだけを考えて、日々過ごしている。

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